月別アーカイブ: 2010年8月

第9回「『LastPass』で、パスワード増えすぎ症候群サヨナラ?」

身の回りのことをできるだけシステム化・効率化することを目指す「杉山システム」。今回は、「IDとパスワードの管理」です。

「インターネットサイトのIDとパスワードが増えすぎて、収集がつかなくなっている」。これ、僕だけでしょうか? 通販サイトに情報系サイトにネットバンキング、と会員登録しているサイトは年々増える一方。数えてみたら、サイト数は約40。IDとパスワードはそれぞれ10種類以上もありました。

すべて同じIDとパスワードにできれば良いのですが、IDは自分で選べないこともありますし、パスワードはすべて同じだと安全性に問題がある。サイトによっては、10ケタ前後の複雑なパスワードが求められることもあります。その結果、やたらと増えてしまったわけです。
一部のIDやパスワードは、Internet Explorerなどブラウザの登録機能を使って自分のPCに覚えさせていますが、ネットバンキングや通販サイトなどのパスワードは、安全性の面で、自分のPCに保存したくない。
そこで、アナログな僕は手帳にメモって整理しているのですが、これはこれで問題なのは重々承知しております。2年前、電車で泥酔&爆睡中にバッグごと盗まれたことがあり、この時は財布以外戻ってきたのですが、そんな幸運はめったにないでしょう。ケータイのメモに入力し、ロックをかけておく手もありますが、ロックをかけ忘れて、落としそうな気も。
うーん、なんとかならないものか。

そこでちょっと調べてみたら、最近は、無料でダウンロードできる「ID・パスワード管理ツール」がいくつもあるんですね。

機能はどれも似通っているようで、基本的には、数多くのサイトのIDとパスワードを一括登録することが可能。そして、このツールを経由して、登録済みのサイトにアクセスすると、IDやパスワードを入力することなく、自動ログインできます。ツール自体のIDとパスワードは打ち込む必要がありますが、それだけ覚えておけば、何十ものサイトが一括管理できるというわけです。
他のPCからでも使えるツールを選べば、会社でも家でも利用可能。ものによっては、スマートフォンでも使えるようです。気になるのはセキュリティですが、どのツールも、セキュリティの堅牢さが自慢の様子。これはけっこう良いかも?

手始めに、ヤフーでダウンロードできる『MoneyLook』を試しました。
ID・パスワード管理だけでなく、資産全体を管理できるツールで、銀行や証券会社、カード会社の資産状況、ポイントサイトの保有状況も管理できました。かなり優れたツールですね。ただ、そこまでいくと、資産を握られているようで、ちょっと恐ろしい気がしなくもない…。また、通販サイトや情報系サイトのパスワードは管理不可。そういうサイトも、まとめて一括管理したいんだよな。

という条件で探したところ、アメリカのベンチャー企業が提供している『LastPass』というツールが良さそうでした。
サイト登録の仕方は簡単で、ツールをダウンロードした後、登録したいサイトにログインすると、「このパスワードを登録しますか?」とメッセージが表示されます。
sugisys9-1.JPG
YESとクリックすれば完了。あとは、ツールを立ち上げると、登録サイトが一覧で表示されます。
sugisys9-2.JPG
これをクリックすれば、自動でログインできました。そして、会社で登録を済ませた後、自宅のPCにこのツールをダウンロードし、アクセスしたところ、ほとんどのサイトは自動ログインできました。こりゃ便利!

ただ、一つ気になったのは、『LastPass』の運営会社を信じられるかどうか、ということでしょうか。このサイト、日本語版があるのですが、これが、いかにも翻訳ソフトで翻訳した日本語。経営陣のプロフィールを見ると、「市立大学のフットボールのことではいつも楽天的です」などとワケがわからないことが書いてあります。ちなみに、全員ポロシャツ姿で、やたら陽気な笑顔。トップページに戻ると、「キャッチやだましではありません」。…信じられる人には、良いツールだと思います。

結局、僕はどうしたか? 情報漏洩しても実害が小さそうなサイトだけ『LastPass』を使い、あとは手帳にヒントだけ書いて、自分の頭で覚えることにしました。最強のセキュリティシステムは我が頭脳かな、な~んて。

まぁ、さっそく昨日登録した『MoneyLook』のパスワードを忘れましたが…。


「やさしい草とり」でワークシェアリング

社会貢献の一つの形といえるのが、浜松の造園会社が今年7月から始めた「やさしい草とりサービス」。以下、浜松経済新聞より。

同事業は、同社専務の舩越貴久さんが発案。事業化にこぎ着けたのは「日本でいちばん大切にしたい会社」という1冊の書籍との出会いだった。昨年11月、同社を訪れた障害者施設の担当者と話をする中で「授産所で働く知的障害者の1カ月の平均賃金がわずか1万2000円ということを知ってがくぜんとした」と舩越さん。「何とか自社でもやれることはないか」と考えた。
同書の中で「ルーチン化」することで、障害者を多数雇用し、かつ業績も向上している会社の事例を元に、自社の業務の中で「ルーチン化」できるものを模索。これまで業務として行っていなかった草取りを切り分けることで、事業化にこぎ着けた。

具体的には、企業や個人宅の草むしりを、連携関係を結んでいる障害者施設に発注。障害者に雇用の場を作り出しているわけです。サービス提供からまだ1カ月ですが、一部上場企業を含む10件の受注を獲得したとか。
これはワークシェアリングそのもの。社会貢献のテーマは、何か外から探さなくても、身近にあるのかもしれません。
[浜松経済新聞]浜松で障害者施設と連携した「草取りサービス」
http://hamamatsu.keizai.biz/headline/200/


第7回 積み散らかしたキャリアと経験が、いつかひとつにつながる プランナー&エディター 高橋 健さん(3)

(竹内三保子/ニューワークタイムズ編集長・カデナクリエイト代表)

ブラック、パワハラ、詐欺まがい…。経歴にどんどん傷が付く

独立の失敗、フリーの限界…。半年後に、再び、就職活動を始めた高橋さんは、新聞広告で見つけた中堅の出版社に何とか入社した。
高橋:洒落た男性誌で有名な会社だったのですが、実際に入ってみると、どうも経営がおかしい。雑誌の知名度を利用して、読者に怪しい投資話をもちかけているみたいなんですよね。もちろん、社員には隠していましたが、何となく雰囲気で分かるし、ネットに悪口も書かれてました。雑誌をつくること自体が犯罪の片棒をかつぐような気がしたので、1年もたたずに辞めました。結局、数年後には、その会社は大きな負債を抱えて倒産しました。
――苦難が続きますね。それで、次はどうしたんですか?
高橋:そのあとはいわゆるスピリチュアル系の出版社に入りました。まあインドに長いこといたくらいなので、自身にもそういう素養があったわけですが、ここも残念ながら問題がある会社で、やはり長いこと在籍せずに退社。次は興味もそこそこにあった医療・介護系の出版社に入りましたが、今度は社長のパワハラで社員が半年で半分入れ替わるような劣悪な会社…。もっとも、出してる本や雑誌はすごくよかったし、医者や介護士の方たちに話を聞くのは勉強になって、地域医療、病院、地方の高齢化問題など、これまで見えなかったものがはっきり見え、社会に対する見方が大きく変わり、人間的に成長できたと思いました。仕事には未練たっぷりでしたが、思い切ってやめました。すでに7社目。経歴はもうボロボロです(笑)。

全てのキャリアが結びつく時

もっとも、高橋さんの経歴は本人が言うほど悪くはなかった。会社が変わる度に、新しいノウハウや知識を身につけていたからだ。編集、写真、印刷…。そこに医療、介護の知識が加わっていた。人材紹介会社に依頼すると、すぐにナナ・コーポレート・コミュニケーションズを紹介された。
――実際に面接を受けてどうでしたか?
高橋:まず、きちんとした会社だと当たり前のことに感動しました(笑)。そして、ここなら、自分のキャリアを活かせると思いました。社内報の制作は、クライアント企業さんごとにやり方が違うし、担当者は異動などによって定期的に変わります。ですから、どんなやり方のクライアント企業さんとも、新しい担当者とも、あたかも数年来チームを組んできたようにスムーズに仕事を進められる能力が問われますが、それに関しては、海外放浪と会社遍歴で十分に養われた(笑)。引け目に感じてた経歴が、プラスに感じられるようになりました。もちろん、会社遍歴をする中で、編集だけではなく、写真撮影、原稿執筆も自分でできるようになっていました。しかも、仕事の目的は、クライアント企業の組織を良くすること。実体験から、組織のあり方、企業の社会的責任、社内のモラルなど「組織」に対してじっくり勉強してみたいと思っていたところでした。どこから切り取っても、まさに、自分のためにあるような仕事だと思いました。
――実際に仕事を始めるといかがでしたか?
高橋:何よりも気持ちがよかったのは、仕事でお会いする方が、みな、本気で自分の会社を少しでもよくしようという熱意に溢れていたことですね。たとえば合併を体験した会社では「社内に一体感をもたせるためには、どうすればよいのか」、技術系の会社なら、「新技術をどんどん発明するような環境をつくるためにはどうすればよいのか」といったことを真剣に考えている。だから、僕も、少しでも、この人たちのために役立ちたいと一生懸命になる。読者もはっきりしてますから、反応もダイレクトに伝わってきます。
――社内報と一般誌のやりがいの違いはどこですか?
高橋:クライアント企業のために役立てたという実感をはっきりと得られることですね。「社内のコミュニケーションがよくなった」「理念が社内に浸透した」「制度の利用者が増えた」といった声をきくと、本当に社内報制作にかかわってよかったと思います。それは、雑誌や書籍を発行して、何万部売れたからいくら儲かったというのとは全く違う喜びです。この会社に来て、まだ2年ですが、やっと自分の居場所がみつかったという感じですね。
――ありがとうございました。業界に旋風を巻き起こすような社内報が誕生することを期待しています。

編集者になりたい人へ

■高橋健さんからワンポイントアドバイス
オーソドックスなやり方は、いうまでもなく出版社に入ることですが、出版社は狭き門にもほどがありますよね。でも、紙媒体にこだわらなければ、実は、webでも、広告でも、営業でも編集的な仕事って、世の中には沢山あります。重要なのは、編集の本質を理解すること。それが分かって自分を磨けば、紙媒体の編集もできるんですよね。とくに広報誌の担当者を見ているとそれを確信できます。編集の経験など全くなくても、他部門で一流の仕事をしてきた方は、ちょっと編集の勉強をしただけで、プロの編集者顔負けの編集能力を発揮しますからね。
■高橋さんにとって仕事とは?
「自分にとってのミッション。あるがままに生きていれば、自分という個性にあった仕事が自然に表れると考えています。ですから、目の前の仕事を一生懸命になる。そうするうちに、また、次のミッションが現れてくる。そんな風にやってるうちに、現在の仕事にたどりついた。仕事を面白くするコツは、面白いと思うこと(笑)。たとえば、ミャンマーの小さな村が面白いから、是非、行ってみろと言われた時に、「それは面白そうだ」と思えたら、その瞬間に勝ったも同然。行かねばならぬと義務的に考えれば、つまらなくなります。でも、北極で毛布一枚で一晩過ごせというような絶対的に辛いことは、無理しないで逃げていいと思います」
(おわり)

今日のヒラリー
引き続きパキスタン問題に取り組んでいます。午後はパキスタンのクレーシー外相とミーティングをし、夕方は国連で演説。すでに拠出を決めた70億円に加えて、さらに50億円の追加融資を表明しました。う~~ん。スゴイ!ちなみに、日本は12億円の支援…。そして、次なるビッグな仕事は、イスラエルとパレスチナの直接交渉再開の発表!どんな感動的な表現で発表するのか楽しみですね。

第6回 積み散らかしたキャリアと経験が、いつかひとつにつながる プランナー&エディター 高橋 健さん(2)

(竹内三保子/ニューワークタイムズ編集長・カデナクリエイト代表)

海外放浪でコミュニケーションと情報収集能力を磨く

1997年10月。会社を退職した高橋さんが向かった先はバックパッカーの拠点、タイのバンコクだった。そこから3年間の世界放浪が始まった。
――どうしてバンコクが拠点なんですか?
高橋:物価が安いし、航空会社も豊富で、どこに行くのも便利なんですよ。バンコクからインドネシア、ニューギニア、ブルネイ、マレーシアなどを回ったら、いったんバンコクに戻る。今度は、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムを回って再びバンコクに戻るといった具合に、常にバンコクに戻るわけです。今はちょっと違うみたいですけど、当時はバックパッカーだらけでした。
――旅行によって、どんな点が変わりましたか?
高橋:コミュニケーションの基本姿勢が変わりました。ベタな表現ですけど人間の幅が広がったような気がしますね。
――具体的には?
高橋:たとえば、日本…に限らずどこでもそうなんですが、会社とか学校とか、エリアの限られた人たちとのコミュニケーションが、まあ中心ですよね。また、日本は治安がいいし、病院も沢山あるし、価格だって店によって極端に違うなんてことはない。その上、それぞれの人には家族がいるわけですから、僕が、友人知人の安全や健康の心配をする必要はない。極端に言えば、自分のことだけを考えていればいいわけですよ。ところが、海外放浪となれば、そうはいきません。ものすごいぼったくりの店もあるし、危険地帯も沢山あります。病気になっても家族はいないし、近代的な病院だって少ない。みんな一人ぼっち。そうなると、バックパッカー同士で助け合うしかないわけですよ。
――なるほど。
高橋:ですから、出会った人とは積極的にコミュニケーションを図って最新情報を伝え合ったり、お互いに相手の安全まで気遣うようになりますね。日本から離れれば離れるほどにね。毎日毎日、初対面との人との新しいコミュニケーション。最初はしんどい面もありましたが、慣れてくると、それぞれの人が持っている情報が違うし、考え方も多様で面白い。気が付くと、どんどん積極的にコミュニケーションを図るようになったし、英語もできるようになったので、他国のパッカーともいつの間にか普通に交流してました。アンテナが変わったせいか、人に対する気遣いの形も変わりました。
――途中、一度だけ、日本に戻ったそうですが…。
高橋:「よく考えてみれば、オレたち日本を知らないよね」って、現地で知り合った仲間3人と日本に戻りました。あらかじめネパールやタイで銀などのアクセサリーを大量に仕入れ、8万円で軽自動車を買って、2ヶ月間かけて東京から鹿児島までアクセサリーを売り歩きながら旅をしました。大もうけはできませんでしたが、旅行代は何とか捻出できましたね。終わったら再び旅を続けました。アジア、中近東、オセアニアを回って、最終的にはアフリカの途中で中断。ヨーロッパ、アメリカ、南米には渡らず、世界半周で旅行をやめました。
――それは、どうしてですか?
高橋:エジプトに入った頃に、だんだん旅行のモチベーションが下がっていったんです。この先も楽しいことはあるだろうけど、どのくらい楽しいかがだいたい予想できるようになってしまった。それで、トルコからメキシコに行く予定を180度変えて、というかUターンしてチベットに向かいました。本当に最高で、そこで満足しちゃいました。「お腹いっぱい」の感覚っていうんでしょうか。その後はタイの島やネパールでちょっとのんびりして、99年のクリスマス前後に日本に帰りました。

海外ボケとキャリアの再構築

帰国した時は、すでに28歳になっていた。日本はあいかわらずの不景気のまっただ中。高橋さんは、どのように編集の世界に戻ってきたのだろうか。
――帰国後の就職活動は、どのように?
高橋:まずハローワークに行きました。そこで、某メガネチェーン店の職にありついたんですが…。スーツを着て、定時出勤。3年も海外で好き勝手にやっている人間には、とても無理。結局、3日でやめちゃいました。やっぱり編集関係がいいと思いましたが、そう簡単には決まらない。結局1ヶ月くらいブラブラしてたのかな?
――それで?
高橋:何とか編集プロダクションにもぐりこむことができました。そこは、販促物や単行本をつくっている会社で、実際に企画やページ構成を考えたり、ライターさんやデザイナーさんに細かく指示したり…。以前いた出版社は編集プロダクションに丸投げだったので、実作業はまるで経験がありませんでした。「なるほど。編集ってこういう仕事なんだ!」って、ここに来てはじめて分かりました。
――なるほど。高橋さんの編集ノウハウは。その会社で学んだわけですね。
高橋:そうですね。そういう意味で、この会社に入ったのは、本当によかったと思います。ところが、まもなく給料は遅配。8ヶ月後には潰れてしまいました。
――次は、どうされたんですか?
高橋:熱帯魚やペットなど趣味的な雑誌を出版している会社に入りました。
――そこでは、何を学びましたか?
高橋:意外なことに写真です。入社すると、熱帯魚の雑誌の担当になったんですが、こういう雑誌って、文章よりも何よりも写真が大事なんですね。通常は、カメラマンさんにお願いするはずなのですが…。なぜか僕がすごいカメラを渡された。「お前、撮れ」と。それまでカメラなんて、まともに触ったこともなかったから、さっぱり分からない。毎日、カメラを構えて水槽の前に座りっぱなしですよ(笑)。露出とか、ストロボの使い方とか、結果として、写真についてみっちり勉強することができました。だんだん写真が上手になって面白かったのですが…。ここも結局、不渡りを出して8ヶ月で潰れました。僕みたいな中途半端な人間を採用するところだから、仕方ないですよね。分かってますが、もう、どこでもいいやと半ばやけっぱちの気分になっていました。
――確かに、2社連続はへこみますね。
高橋:ですから、次は、たまたまで募集記事を見つけた漫画の出版社に入りました。嫁舅問題などが中心のレディースコミックをつくっている会社でした。漫画の世界って、99%は漫画家さんがつくりますから、編集者の出る幕はあまりない。漫画の方向性や多少のストーリーは考えますが、メインの仕事は誤字脱字のチェック…。多分、編集者として学べるものはほとんどないだろうなと思っていました。
――実際には?
高橋:印刷について学べました。すでに世の中はパソコンを使ったDTP印刷に変わっていましたが、DTPって、ある意味ブラックボックス。いくら眺めていても、印刷のことはよく分からない。でも、漫画に限っていえば昔ながらの版下、写植の世界なので、実に分かりやすい。漫画にかかわったおかげで知りたかった印刷の基礎がよく分かりました。でも、一番よかったのは、社員の人たちがいい人ばかりだったことかな。今でも、この時の仲間とは花見などで定期的に集まってますよ。
――そんなに楽しそうな会社だったのに、どうして退職したんですか?
高橋:実は、最初に就職した編プロ時代の仲間と、田舎に特化したフリーペーパーを発行して独立しようと考えたからです。広告代理店もついて、みんなで事務所まで借りました。ところが、いよいよスタートという時に広告代理店が倒産してしまいました。
独立の夢は、見事うち砕かれ、行き場を失った高橋さんは、フリーカメラマン&フリーライターとして再出発した。海外で磨いたコミュニケーション力で、食いっぱぐれることはなかったが、収入は月5万円~50万円と非常に不安定。再び、就職活動を始めた。(つづく)

今日のヒラリー
洪水被害に見舞われているパキスタン。すでに米国はヘリコプターでの救助など他国に先駆けて活動していますが、それに加えてヒラリーは14日の夜にパキスタンのザルダリ大統領に電話。最大限の協力を約束したそうです。国連・潘基文事務総長の視察の前日というのが、しぶいタイミングだなぁ。

飲食店は「カンバン娘」で選ぶ時代。

お盆休み明け1日目の今日みたいな日は、やたらと体が思いもの。そのうえ連日35度を超えている地域も多く、すでに“就業後のビール”に思いを馳せている人も多いはずです。
でもって最高の一杯を楽しみたいなら、こだわりたいのが店選び。値段やメニューや雰囲気も重視したいところですが、どうやら最近は「カンバン娘」で選ぶ人が増えている模様です。
以下、J-CASTニュースより。

最近、素人美人の活躍が目覚しい。「美人」が時刻を知らせるサイト「美人時計」や日替わり「美女」が登場する「美女暦」、地方の美少女をモデルに起用したフリーペーパー「美少女図鑑」などなどだ。なぜ今、素人美人なのか。
看板娘にスポットを当てた飲食情報サイトも登場し、人気を呼んでいる。飲食情報サイト「カンバン娘」。サイトを運営するオンライフによると、2010年5月のオープン以来、月間PVが増え続け、7月30日時点で100万PVに達した。
「特定の女性にファンがついてきた」
登場する看板娘はおよそ70人。外見の美しさだけでなく、「たくさんのファンを作り出す」「自分の働いている店を愛している」「仕事に誇りを持っている」「クレーム対応がうまい」といった条件をクリアした女性を「カンバン娘」と定義している。毎月、ファン投票で「ミス・カンバン娘」が選ばれ、特設ページで紹介している。
オンライフの広報担当者はこういう。
「飲食店のサイトはメニューや値段の紹介が多く、人にスポットが当てたものがありません。そんなこともあってこれを作りました。カンバン娘に会いに、来店するお客さんもいるようですね」

J-CASTニュースでは、こうした素人美人が人気を集める最大の理由として「不況で(企業が)タレントにお金を払えなくなったこと」と指摘しています。
なるほど。でもって、以前も書きましたが、IT 化であらゆる情報に素早く辿りつけるようになった現在、「そこに行かないと会えない!」ことに対する価値は、相対的に高まっている気がします。つまりカンバン娘みたいなリアルな存在に「会ってみたい!」というニーズが高まっているのは当然、というわけです。
いずれにしても、正直「美人過ぎる何とか」や「美人●●」なんて言葉が氾濫し過て、美人の価値が急落、軽くインフレを起こしていたところに、“自分の働いている店を愛している”「カンバン娘」と、控えめな表現が心地良いです。
そういえば、ちょっと前に流行った「“カリスマ”店員」なんてのも大げさ過ぎでしたよね。
[J-CASTニュース]「素人美人」モテモテ時代 不況でタレント使えなくなった
http://www.j-cast.com/2010/08/07072584.html?p=all
[カンバン娘]
http://k-musume.jp