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無名ブランドの9万円のコートが売れる。「SMBCマネジメント+(プラス)」2014年5月号記事を一部執筆

SMBCコンサルティング発行の情報誌
「SMBCマネジメント+(プラス)」2014年5月号特集記事を執筆しました。

■特集「シニアビジネスはアッパーミドル層を狙え!」
●OVERVIEW
資産はあっても使えるお金は少ないアッパーミドル層の動向を知る
村田 裕之氏(村田アソシエイツ 代表)
●CASE
一流ブランドがやれないことまで徹底してこだわり抜く
第一織物株式会社

第一織物さんは、誰でも知ってる欧米の数々の高級ブランドに生地を卸しているメーカー。
吉岡社長が「自分のような日本人体型のシニアが着れて、安っぽくないアウターが欲しい!」と、コート制作に着手。
高級ブランドでも「そこまで要らないよ」という高級生地を使いまくった、着心地最高のコートをつくりあげました。
値段は9万円超。
無名ブランドの9万円のコートが売れるのか? と心配したそうですが、
デパートに何気なく置いてもらったら、何着も売れたそうです。
吉岡社長のようなニーズを持った人がいる手応えを感じたようです。

それにしても、言えないのが残念ですが、生地を卸しているブランドのそうそうたる顔ぶれと来たら・・・。
またしても日本の誇るべき技術・企業を発見した気分でした。

詳しい内容は、以下のリンク先で、5月上旬まで見ることができます。
http://www.smbc-consulting.co.jp/company/mcs/businesswatch/managementplus/


エクスカリバーから手裏剣まで。
“プロ”を唸らすアキバの武器屋(後編)

東京、秋葉原。「電気街」「ITタウン」「サブカルの聖地」「メイド喫茶の集積地」「江戸っ子の町」――。
玉虫色に輝くこの地で働くあの人は、
なぜココを選び、どんな思いでシゴトしているのだろうか。

Vol.3 磯野圭作(有限会社ヴァイスブラウレジデンツ取締役)

自分と同じ1000人のパイ。彼らに武器を、本物を。

インドのメーカーがつくっていたのは、もちろん模造刀だ。しかし、日本の銃刀法では、たとえ模造品で刃がついてなくとも、刀剣部分が鉄製だと、それを所有するものは銃刀法違反になることは知っていた。

「仕方ない諦めるか…」

指を咥えて諦めるのが普通である。しかし、磯野さんは普通じゃないのだ。

「ああ、素材を変えれば手に入れられるんじゃないか、って。それ作ってもらおうとピンときた」

銃刀法を細かく調べると、鉄以外の軟らかく安全な「亜鉛」などの素材であれば、問題なく輸入、所有ができると知った。当時、サラリーマンとして海外の雑貨を卸し、簡単な貿易のやりとりや、別注のハードルが低いことを知っていたのも後押しとなった。

『鉄じゃなく、卑金属で作り直せないか?』。インドのメーカーへメールを出すと、すぐに返ってきた。『OK。ただし…』。

「『数本じゃムリだが、ある程度大量に発注してくれるなら作り替えて、送れるよ』と。僕が欲しいのは自分の分と友人の分の2本だけだったから、どうしようかなあ、と悩んだけれど」

たどり着いた声は簡単だった。「あまった分は売ればいい」。

日本刀も人気商品。歴女などの歴史好きが、「新撰組のだれだれの愛刀が欲しい!」なんて感じで購入するとか


自信があった。まず自分のように指をくわえてきた武器好きは決して少なくないと感じたこと。むしろ銃刀法がガラスの天井となり、「本当はあるのに手に入れられないのかよ!」というジレンマが、むしろニーズを高めていると直感した。指をくわえている彼ら、つまり自分たちに届くものを造れば、十分ペイできると感じた。

「もちろん、数万人単位のパイを狙うならそうはいかない。リアルな武器を求めるなんて、多く見積もっても1000人くらいのちいさな市場ですよ。けれど、だからこそ、自分の『好き』をそのまま投影させたモノづくりができると考えた。それくらいの範囲なら手に取るように欲しいもの、求めるものが分かるから……」

そうしてなけなしの貯金を元手に、ウン十本の別注品を発注してしまう。本業の仕事に飽き、何か別の仕事を、と思っていた頃でもあった。磯野さんは会社をやめ、ネットオークションを販路に武器屋をスタートさせた。本物そっくりの光を放つインド製の刀剣を別注し、ネットを介して売り始めたわけだ。

秋葉原に来た理由。

『待ってました!』

あきらめていたらリアルな刀が、日本でも買えるとあり、すぐに注文が殺到した。さらにミリタリー雑誌に広告を出すと、注文はさらに折り重なった。ただし、どうしても「モノが見てみたい」という声も少なくなかった。実店舗を出すならどこがいいか? できれば、都心で、人が集まる場で――。

「そうなると、秋葉原だったんですよね。秋葉原は商業地としては一等地。しかもミリタリー系のショップもいくつかあるし、親和性も高い。さらに……」

顧客リストをみるとゲームやアニメのファンが多いことに気づいたからだ。磯野さん同様の歴史、軍事史好き、もしくはリエナクトメントの愛好家よりむしろ、圧倒的な数があった。アニメ、ゲームなら、秋葉原は世界の聖地だ。

「そこで2004年、今の場所に『武器屋』を起ち上げたんです。先述通り、彼らもリアルを求めるわけですからね。たとえ空想の格好でも、むしろ空想の格好だからこそ、細部にリアルなものを配す必要がある。それは映画と全く同じ。だから、僕は同時に仕入れやモノづくりは妥協しないことが最も大事だなと感じた」

6年前、大学に戻って、院生としてあらためて政治史、軍事史を学んだのもそのためだ。独学のみならず、学術的なバックボーンを得て、さらに武器の知識を得たわけだ。

「単なる武器好きや、あるいはアヤしげな人間ではなく“学術的な研究者である”ということは担保にもなった。銀行に資金を借りる際の信用になりましたからね」

こうして古今東西の武器の知見と、古今東西の仕入れルートと、商品としての模造武器が揃う『武器屋』は、いつしか武器好きを古今東西から集めるようになったわけだ。

すごいのが、本当に『映画会社の小道具部屋』になったことだ。

山田洋次作品から自衛隊まで――。
武器あるところに、磯野さんあり。

『幕末の武器はどうなっていたか?』『進駐軍の制服は?』――。そんな悩みをもっていた映画の助監督やテレビのADが、『武器屋』にたどり着いた。

「すると、僕がいて、武器がありますからね。モノも答えも手に入る。おかげさまでご協力させていただくことになりはじめたんですよ」

例えばSMAPの中居正広氏主演の映画『私は貝になりたい』。衣装や小道具の提供、さらに軍事史的な時代考証の担当をしたのは、磯野さんだ。

「中居くんのブーツとか本当に帝国陸軍のデッドストックをみつけて提供しました。太平洋戦争の召集令状も、進駐軍のMPのヘルメットもすべて破綻がない」

デッドストックの放射線防護服などもある。「ビニールが破れている使用済みという証拠。実に合理的でしょ?」


山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』では、出演まで果たした。磯野さんは当時の銃の操作手順などの指導で撮影現場に入っていたが、あまりの指導の厳しさにエキストラの一人が脱走。助監督から「穴埋め、よろしくな」と頼まれたからだ。幸か不幸かは別として、得意の、“妥協しない仕事”の結果というわけだ。

「最近では橋田壽賀子さんが書いたTBSの開局60周年記念ドラマ『 99年の愛 ~JAPANESE AMERICANS~ジャパニーズ・アメリカン』も手伝いました。史実に近い当時の米国陸軍が日本のテレビで初めて登場したと思う。番組を観たアメリカ人から『442連隊をここまで忠実に再現するとは!』というコメントがテレビ局に届いたようです。うれしいですよね」

前半で「(リエナクトメントの市場が小さい)日本では映画の衣裳も小道具も間違いだらけ“だった”」と過去形で書いたのは、このためだ。実は、『武器屋』の、磯野さんの登場によって、ぐぐっと歴史もの、軍事ものの小道具の質が高まった。細部に神が宿るのならば、磯野さんはいろんな作品に、神を宿させているというわけだ。

「そこは自信があります。少なくとも、進駐軍が自衛隊の迷彩ヘルメットや服を着用する事はありません(笑)」

「コスプレしたい」「武器が好き」からはじまって、今は日本映画、日本文化を密かに牽引する役割を担っている。大げさに書いたわけじゃなく、実際、年内『武器屋』はパリにも出店する。

「日本文化を海外に紹介するジャパンエキスポに参加するようになって、そこから得た人脈で『出店してほしい!』という声があったので、はじめるんです。もっとも、パリでは武器だけじゃなくて、日本茶なども多く売る予定(笑)。というのは、同じなんですよ。いま、海外で日本料理がブームといわれているけど、ほとんどは中国人や韓国人が作っている。実はフランスには本物のお茶がほとんど無い、『本物を売ってくれ!』って」

本物を欲す人に、本物を届ける――。
あれ、考えてみればふつうのことだ。
訂正します。
磯野さんも武器屋もふつうで、他がおかしいのかもしれない。


【秋葉原Worker データファイル3】
『武器屋』
有限会社ヴァイスブラウレジデンツ 取締役
磯野圭作さん

■あなたにとって「秋葉原」とは?
高校生時代からの遊び場。駅が改装される前に飾っていた広告の場所は皮肉にも学生時代のバイト先の看板があったとこ

■秋葉原でよく使うランチの店は?
ラーメン屋の『萬楽』。江戸っ子な娘さんが元気をくれます

■今の仕事をしていて良かったなと思う瞬間は?
お客様が嬉しそうな顔して帰る時。
あと、自律神経失調症で立てなかった子が武器屋に行きたいという一心で4階まで上がってきたとき

【働いている場所】
千代田区外神田1-5-7宝ビル402
「武器屋」

http://www.wbr.co.jp/bukiya.htm

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エクスカリバーから手裏剣まで。
“プロ”を唸らすアキバの武器屋(前編)

東京、秋葉原。「電気街」「ITタウン」「サブカルの聖地」「メイド喫茶の集積地」「江戸っ子の町」――。
玉虫色に輝くこの地で働くあの人は、
なぜココを選び、どんな思いでシゴトしているのだろうか。

Vol.3 磯野圭作(有限会社ヴァイスブラウレジデンツ取締役)

伝説の剣、アリます(15000円)。
そこは、みるからに“ふつうの店”ではない。

まるで「中世の城内」というか、「RPGの舞台」というか、何なら「東宝の小道具部屋」のようにも見える。

秋葉原の明神下交差点近く、元ザ・コンの裏にある『武器屋』のことだ。

10坪強の店内。ガラスケースや壁や棚には十字軍のソードや英国海軍のサーベルや日本刀などの武器が並ぶ。

武器類はもちろん模造品(軍服などは本物)で、すべてが同店の商品だ。鈍く光る刃の輝きが、かつて味わったチャンバラごっこの高揚感と、戦争映画を観た後の興奮と、用途不明なまま木刀を買った修学旅行生の無邪気さを思い出させる。

ようするに『武器屋』は、大人を少年にし、その少年を武士や忍者や勇者にしてくれる、やはりRPGの舞台のような場、というわけだ。

「商品は全部で400アイテムくらいありますね。売れ筋商品? そうですねえ…」

そしてオーナーの磯野圭作さんは、両刃の剣のサヤを抜きながら、言った。

「(しゃりん!)このエクスカリバーは結構出ますね。アーサー王が使ったというあの剣。そう。岩に突き刺さっている奴ね。伝説の剣だけど、うちなら1万5000円で買えますから(笑)」

あの銃あるかな? あの剣は? アキバだからこその顧客層。

店は雑居ビルの4階で、決して入りやすい場所ではない。しかし、取材中もひっきりなしに来店客があった。

「コスプレイヤーの方が多いんですよ」

言うまでもなく、秋葉原はアニメやゲームといったコスプレ文化の集積地。同人誌やコスプレ衣装を購入するついでに、『緋村剣心の使っている刀あります?』『コスモドラグーンが欲しいんですけど…』と『武器屋』の門を叩くわけだ。

「あとは“リエナクトメント”の愛好者の方もよくいらっしゃいますね」

リエナクトメントとは南北戦争とか第二次世界大戦とか朝鮮戦争とか、実際にあった戦争での戦いを、当時の武装&シナリオで追体験するというコスプリッシュなホビーのことだ。日本ではマイナーだが欧米では相当にポピュラーな趣味で、ワーテルローの戦いのリエナクトメントなんて20万人くらい集まって戦闘(ごっこ)をするらしい。

ギラン! とリアルな模造武器が並ぶ店内。さりげなく、ソンブレロとか缶ジュースとか置いてある「遊び」も楽しい

「ちなみに欧米ではこのリエナクトメントの市場が大きいから軍事史ものの映画が多い。確実な観客が見込めますからね。まただからこそ本物に近い装備を史実に乗っ取って使わないとそっぽを向かれる。だから小道具なんかの作り込みもしっかりしているんです」

逆に日本ではこうした文化が無いし、終戦記念ドラマだからと思想を持って映画やドラマを作るから衣裳も小道具も間違いだらけだったという。例えばドラマで「第二次大戦の頃の米兵」が、自衛隊の迷彩のヘルメットを被っていたりする。

「ゲーム好きでも、映画好きでも、歴史好きでも、何にしても『より本物に近づきたい!』という欲求があるじゃないですか? 細部に神は宿るもの。いくらリアルな衣装をきても、手にする武器が偽物っぽかったり、安っぽかったりしたら台なしになりますからね」

熱っぽく語るわけは、何を隠そう、磯野さん自身の『コスプレしたい!』という欲求が、この武器屋誕生のきっかけの一つでもあるからだ。

もっとも、目指したキャラクターが、実に男らしい、いや、漢らしいのが、磯野さんらしい。

武器からすべてが見えてくる。

「カッコイイ! あんな格好してみたいよな!!」

2000年公開のハリウッド映画『グラディエーター』鑑賞後、友人と盛り上がった。古代ローマの剣闘士の姿を描いた超大作。使い込んだ甲冑と、重々しさが画面からにじみ出る両刃の剣や斧が、そもそも“武器&軍事史好き”だった磯野さんの心をとらえたからだ。

「小学生時代から武器と歴史にハマって、学生時代からずっと図書館にこもっては、武器と歴史について研究するのが趣味だったんです。きっかけはやはり映画。小学生くらいのころにみた『二百三高地』や『遠すぎた橋』といった戦争映画でしたよね」

モノとしてのかっこ良さに惚れただけじゃなかった。戦車やライフル、サーベルや軍服から、活き活きとした“史実”が見えることにそそられたという。機能美を最も求められる武器・武具は、用途や使用環境といった背景が、どんなプロダクトよりも如実に宿るからだ。

「例えば、英国海軍の制服がなぜ世界の海軍にまねされるほどデザイン性が高いかというと、イギリスに徴兵制がなかったからなんですよ。ようするに『あれを着てみたい!』と思わせるため、誰しも憧れるような意匠をほどこしたわけです。例えば、なぜ日本はヨーロッパではなくアメリカから戦闘機を買うのか。それは日本の領土は約4000kmもの長さがあるからです。領土の真ん中に基地があるとして、2000Kmの航続距離が必要になる。けど、例えばフランスはパリから円を描いても500km飛べれば、制空権は足りる。つまり長距離を飛ぶことを想定しない仏軍の戦闘機を入れたら守れないわけですよ。あとね、銃剣のことをバイヨネットと呼ぶのは、スイスのバイヨン村で……」

……いずれにしても武器&軍事史がライフワークな磯野さんにとって、『グラディエーター』のすばらしく作りこまれた武器たちは、大いに物欲を刺激したわけだ。

「しかもネットで調べると、映画の撮影用小道具をつくるインドのメーカーが、撮影で使ったもの同じ商品、それをプロップと呼ぶのですが、それを一般向けに販売していたんです。『コレは買いだ!』と、さっそく発注したのですが、大きな障害がありまして」

銃刀法だった。
後編へつづく)


【働いている場所】
千代田区外神田1-5-7宝ビル402
「武器屋」

http://www.wbr.co.jp/bukiya.htm


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鉄道模型じゃなく、鉄道模型の「楽しさ」を売りたい。(後編)

東京、秋葉原。「電気街」「ITタウン」「サブカルの聖地」「メイド喫茶の集積地」「江戸っ子の町」――。
玉虫色に輝くこの地で働くあの人は、
なぜココを選び、どんな思いでシゴトしているのだろうか。

Vol.2 太田和伸
(新品・中古Nゲージショップ 株式会社ポポンデッタ代表取締役社長)

秋葉原が「聖地」な理由。

2000年前後までは、東京の名だたる繁華街でも「Nゲージを扱う店」なんて、一店あればいいほうだった。だからこそ渋谷にできた専門店『ポポンデッタ』は、すぐに多くのマニアを集める店となった。それほど「Nゲージが買える場所」は貴重だったともいえる。

ところが、そんな中で異彩を放つ街があった。

「秋葉原です。以前から4、5軒ほどでNゲージを扱う店があって、ほとんど唯一の集積地でしたからね」
電子工作の部品を扱う店や模型店などが多く、そもそも趣味人が多く集まるこの街に「鉄道模型」を愛する人が集まりやすいのは当然だろう。そのうえ、ここには「聖地」もあった。

万世橋駅――。今の御茶ノ水駅と神田駅の間、まさに万世橋の辺りに1912年に開業した、東京を代表する線路・中央線の終着駅があったからだ。

5階の税理士事務所にて。「二束のわらじはリスクヘッジにもなる。何より精神的にバランスがとれます」


その後、万世橋駅は交通博物館になり(現在は大宮に移転)、さらに全国から鉄道マニアが集うように。鉄道関連のお宝展示に触れた後、秋葉原の街で鉄道模型を買う。そんな導線が自ずと定番化していた。

「だからこそ夢見ていたワンストップショップは、秋葉原に創りたかった。鉄道模型だけじゃなく、この街は趣味人にとって目指すべき場所だと思うから」

目指すべき場所への出店は、思いのほか早く実現した。渋谷に店をだした翌年の2004年。出物物件と出会ったからだ。2階建てのビルまるまる一棟が家賃33万円。税理士でなくても飛びつく好条件だった。渋谷店を締め、ここに得意のレンタル・レイアウトを置き、1階は商品と鉄道関連の古本で埋め尽くした。スタッフには女性を多く配した。「マニア以外入りづらい」。そんな鉄道模型の既存のイメージを、店作りでも覆したかったからだ。

「もっとも、鉄道模型の店が女性アルバイトを集めるのは、なかなか大変。だから鉄道の“て”の字も出さずに『秋葉原にある古書店。スタッフ募集!』と情報誌に広告を出して集めましたから(笑)」
もっとも、そんな苦労は、すぐ後に反転する。

そして、秋葉原を象徴する店に。

豊富かつ確かな品質の商品が揃え、そのうえレイアウトで「遊べる」魅力を持つ同店は、鉄道好きにとってブランドになった。「秋葉原にいくならポポンデッタに寄ろう」。巡礼ルートの目玉になった。事実、売上もネット通販とあわせて、月商1000万円にまで成長。借りていたビルの立つ土地を購入し、5階建ての自社ビルを建てるに至っていた。

「その辺りは税理士らしい計算もあって。購入したほうが得だという計算もあったんです。やはり要所要所で税務のスキルは役立ちますよね」

スキルが逆に役立つこともあった。これまでは税理士の取引先に何か意見をしても「机上の空論だ」「あなたは経営がわかってない」などとどやされることもあったが、いち経営者としての視点を手にしてから、明らかに言葉が変わった。経営者の辛さや悩みが実感できるようになったからだ。

「視野が広がったんでしょう。なんというか線路が増えた、って感じです(笑)」

『ポポンデッタ』のレイアウト、その線路も爆発的に増えていた。2007年のイオンモール川口グリーンシティを皮切りに、大型商業施設のテナントとして店舗数を年々、増やしたからだ。ショッピングセンターの主要客はファミリー層。中でも主役は主婦を中心とした女性客だ。彼女たちがショッピングしている間、男性客と子供客は、ショッピング中に時間を持て余すことが多々あったわけだ。

「そこをついた。『うちが出店すれば大きなリアルな街のジオラマ線路に、自慢の鉄道模型を持ち込んで、運転できる。男性とお子さんが楽しめる。結果、滞留時間も長くなるはずです!』と最初はそんな風に売り込んでいったんです。前は女性客がこないことに頭を悩ましていたけど、考えてみたら、それが強みにもなると気づいたんです。そもそも僕が彼女とショッピングセンターにいくと時間をつぶすのが大変だったから(笑)」

レイアウトの前にて。鉄道模型は自宅にもどっさり?「というか、作成中のレイアウトがどっさりと(笑)」


着想はあたった。むしろ父親や子供たちが『ポポンデッタ』を目指してショッピングセンターに訪れるように。さらに、今は女性客もどんどん増えている。鉄子と呼ばれる女性の鉄道ファンも増えたし、子供と一緒に鉄道にハマるお母さんも増えたからだ。

「前みたいに、『古本屋です』と誇張せずとも、女性のアルバイトスタッフも応募してきてくれるるようにもなりましたね(笑)」

今では実績を買われ、テナント誘致に四苦八苦するショッピングセンター側から好条件でのオファーが相次ぐほどになった。レイアウトの魅力のみならず、「秋葉原的なもの」を求めて、誘致したがるデベロッパーも少なくないという。

「うれしいですよね。アニメイトさんやまんだらけさんなんかと並んで、たまに秋葉原的と認めてもらえている。それは感慨深いです」

初めて秋葉原に来てからすでに8年。今や『ポポンデッタ』の人気にあやかり、周囲にはさらに鉄道模型を扱う店が集まり、当時は十数件にまで膨れ上がっている。いつの間にか、聖地を牽引する役割を担うほどになっているわけだ。

まだまだ店舗数は国内に50店は増やしたいという。ただ、最終的な夢はドイツにあるような鉄道模型の博物館をつくることだという。

「レイアウトの楽しさをただただ味わうために人が集う。それって素敵なことじゃないですか? 鉄道模型の楽しい文化をとにかくたくさんの人に伝えたい。子供たち、若い世代に、この楽しさを、文化を伝えていきたい、っていう思いが、結局は僕をつきうごかしているんでしょうね……。って、これも税理士的にはどうなんだって発言だな(笑)」

三つめの顔。そういえば秋葉原は、税理士の顔も、ショップオーナーの顔もアリだけど、そんな“子供みたいな笑顔”こそが、よく似合う街だった。

【秋葉原Worker データファイル2】
太田和真(新品・中古Nゲージショップ 株式会社ポポンデッタ 代表取締役社長)

■あなたにとって「秋葉原」とは?
原点であり、永住の地ですね。

■秋葉原でよく使うランチの店は?
『繁栄堂』
裏通りにある渋いお店でお弁当を。僕はハンバーグ弁当ばかりです。

■今の仕事をしていて良かったなと思う瞬間は?
お客様がレイアウトで遊びながら無邪気に微笑んでいる。その姿を見るとき。

【働いている場所】
東京都千代田区外神田3-3-3 Rail Way BLD
新品・中古Nゲージショップ『ポポンデッタ』秋葉原店

定休日:毎月第3水曜日
TEL:03-5297-5530
http://www.popondetta.com/akihabara/index.html

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鉄道模型じゃなく、鉄道模型の「楽しさ」を売りたい。(前編)

東京、秋葉原。「電気街」「ITタウン」「サブカルの聖地」「メイド喫茶の集積地」「江戸っ子の町」――。
玉虫色に輝くこの地で働くあの人は、
なぜココを選び、どんな思いでシゴトしているのだろうか。

Vol.2 太田和伸
(新品・中古Nゲージショップ 株式会社ポポンデッタ代表取締役社長)

二つの顔を持つ男。

太田和伸さんには、二つの顔がある。

一つ目の顔は「税理士」。秋葉原、昌平小学校の裏に立つやたらモダンなビルの5階に事務所を構え、実直な人柄そのまま、誠実かつ正確に顧客のキャッシュフローに目を通す。

二つ目の顔は「鉄道模型専門店『ポポンデッタ』のオーナー」。税理士事務所の下全部、1~4階に店を構えて、中古・新品のNゲージを中心にした鉄道模型を販売している。

「『税理士の道楽では?』なんて言われる時もあるんですけど、鉄道模型の販売の方がいってしまえばキャリアは長い。元もと僕の夢は鉄道模型店のオーナーでしたからね」

その夢を太田さんは少しずつふくらませつつ叶えてきた。何せ11年前の創業から順調に店舗数を増やし、今や愛知、京都、茨城など、各地の大型ショッピングセンターに13もの直営店を出店している。

人気のひとつは、すべての店に設置した「レンタル・レイアウト」だ。レイアウトとは精巧なジオラマで飾られた小さな街に走る線路のこと。来店客は持ち込んだ鉄道模型をこの線路で存分に走らせられる、というわけだ。

「税理士としての視点で見ると、アウトなんですけどね。コストがかかりすぎる。線路を引くよりも、売り場を増やしたほうがいい。けれど、鉄道模型好きの僕が『ただ売る場所にしたくない』と言う。ここは鉄道模型じゃなくて、鉄道模型の楽しさを売る場所なんです」

「かつての自分」を相手にした。

鉄道模型の「楽しさ」。自らそれを知ったのは、ずいぶんと小さい頃だ。

1971年生まれの太田さんは小学生くらいまでNゲージにハマっていた。70年代のブルートレインのブームなどもあり、当時の子供には王道だった。しかし中高生になると、自然とその趣味から離れた。いつしか趣味はスキーやその他になった。これまた当時の王道だった。

「女の子に好かれるような趣味じゃない――。色気づいたばかりの頃って、男はそんな価値観で動くものじゃないですか。あの頃って、まだ鉄道模型にはそんなイメージがあった」

復活のきっかけは、大学4年のある日、玩具屋の閉店セールでNゲージの山に出くわしたことだ。バイトで自由に使える収入も増えていた。そろそろ好きなものを「好き」といえる自我も手にしていた。半額以下に下がっていた常磐線や東海道線、かつて欲しかったNゲージ車両をごっそりと買い込んだ。

モダンな自社ビル。最上階が太田税理士事務所で、残りの1~4階が『ポポンデッタ』。電車型自販機が気になる


「友達のコレクションを指をくわえて見ていた過去を思い出したのかも」

このカムバックが起業につながる。気になり出してNゲージの市場まわりを調べると、量販店の隆盛で、街の模型店がどんどん潰れていた。また当時流行っていた個人売買情報誌を眺めると「Nゲージをやめるので、コレクションを売りたい」という人が多いことを知った。ようするに、格安で中古Nゲージの“いいタマ”が大量に市場に出まわる条件が揃っていたわけだ。

「一方で、僕のように『チャンスがあれば、また鉄道模型をはじめる』という潜在的なニーズが高いと感じていた。両者をマッチングしたら、儲かるんじゃないか? そのうえ、効率的に自分もコレクションを増やせるんじゃないかと思ったわけですよ(笑)」

予想は的中。まずは鉄道雑誌に「Nゲージ、買います!」と投書している人向けに中古Nゲージの在庫を記した通販のダイレクトメールを送った。すると一回のDMで十数万円の利益があがった。その後、パソコン好きだった弟の手を借りて、インターネットサイトもスタート。サイト名は『ポポンデッタ』。飼っていた熱帯魚の名を屋号にしたのは、未だひっかかっていた、アレがあったからだ。

「いかにも鉄道模型やNゲージを匂わす名前には、ちょっと抵抗があった。やっぱり彼女や奥さんに胸をはって言えないイメージがまだあって(笑)」

最初の店は渋谷だった。

サイト運営をしながらも、本業の道は税理士だと思っていた。

『ポポンデッタ』を立ち上げた頃は、大学を卒業して税理士の勉強中。その後、合格すると、しばらくは神田にある祖父の税理士事務所に籍を置いていた。

「祖父が税理士だったことがそもそものきっかけ。けどやってみるとおもしろいんですよ。会計や税が分かると、それまで単なる数字だったものが、急にいきいきとみえてくる」

ただ夢はやはり「鉄道模型の実店舗をつくること」だった。Nゲージがあり、レイアウトもあって、鉄道の関する本も置いてあるような『鉄道のワンストップショップ』。そいつを創りたい思いがあった。

レンタル・レイアウトはすべて手作り。とくに他店にあるものは太田さん自らが自宅で作成している


実は当時、ネット通販だけで月100万円を売り上げるようになっていた。「鉄道模型を復活したい」。そんなニーズをまず拾えた。加えて、中古の状態をA~Eの格付け評価で記したことで、既存のマニアたちの支持も得た。当時はまだこうした評価をオープンにする中古通販はほとんどなかっため、「信頼できる店」と噂になっていたからだ。

「鉄道模型にはチャンスがある……」。ただモチベーションは、それだけじゃなかった。

「鉄道模型と出会う場、再開する機会が、本当に減っているんじゃないかと思い始めたんです。だから、うちのような店にも多くのアクセス、お客さんが集まるんだと。そう考えると、ただ商売するというより、鉄道模型の文化をもっともっと次の世代に残していかなきゃいけないんじゃないか、なんて使命感めいたものも芽生えた。だから場が欲しかった。気軽に鉄道模型に触れられ、楽しめる場が――」

チャンスは突然やってきた。税理士としての顧問先から、「自分のビルが開いたから、太田くん、事務所を開かないか?」と誘われた。自分を見込まれて格安の家賃を提示された。

「『ぜひ!』と。ただ『実は鉄道模型店がやりたいんですけど…』って(笑)」

こうして2002年、『ポポンデッタ』の実店舗がオープンした。けど、そこは渋谷駅のほど近く。それでも、当時から秋葉原は、いずれ進出したい場所だった。

「だって秋葉原は聖地だから。僕たちみたいな鉄道好きにとっても」
~後編~に続く。

【働いている場所】

東京都千代田区外神田3-3-3 Rail Way BLD

新品・中古Nゲージショップ『ポポンデッタ』秋葉原店
定休日:毎月第3水曜日
TEL:03-5297-5530

http://www.popondetta.com/akihabara/index.html


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