玉虫色に輝くこの地で働くあの人は、
なぜココを選び、どんな思いでシゴトしているのだろうか。
自分と同じ1000人のパイ。彼らに武器を、本物を。
インドのメーカーがつくっていたのは、もちろん模造刀だ。しかし、日本の銃刀法では、たとえ模造品で刃がついてなくとも、刀剣部分が鉄製だと、それを所有するものは銃刀法違反になることは知っていた。
「仕方ない諦めるか…」
指を咥えて諦めるのが普通である。しかし、磯野さんは普通じゃないのだ。
「ああ、素材を変えれば手に入れられるんじゃないか、って。それ作ってもらおうとピンときた」
銃刀法を細かく調べると、鉄以外の軟らかく安全な「亜鉛」などの素材であれば、問題なく輸入、所有ができると知った。当時、サラリーマンとして海外の雑貨を卸し、簡単な貿易のやりとりや、別注のハードルが低いことを知っていたのも後押しとなった。
『鉄じゃなく、卑金属で作り直せないか?』。インドのメーカーへメールを出すと、すぐに返ってきた。『OK。ただし…』。
「『数本じゃムリだが、ある程度大量に発注してくれるなら作り替えて、送れるよ』と。僕が欲しいのは自分の分と友人の分の2本だけだったから、どうしようかなあ、と悩んだけれど」
たどり着いた声は簡単だった。「あまった分は売ればいい」。
自信があった。まず自分のように指をくわえてきた武器好きは決して少なくないと感じたこと。むしろ銃刀法がガラスの天井となり、「本当はあるのに手に入れられないのかよ!」というジレンマが、むしろニーズを高めていると直感した。指をくわえている彼ら、つまり自分たちに届くものを造れば、十分ペイできると感じた。
「もちろん、数万人単位のパイを狙うならそうはいかない。リアルな武器を求めるなんて、多く見積もっても1000人くらいのちいさな市場ですよ。けれど、だからこそ、自分の『好き』をそのまま投影させたモノづくりができると考えた。それくらいの範囲なら手に取るように欲しいもの、求めるものが分かるから……」
そうしてなけなしの貯金を元手に、ウン十本の別注品を発注してしまう。本業の仕事に飽き、何か別の仕事を、と思っていた頃でもあった。磯野さんは会社をやめ、ネットオークションを販路に武器屋をスタートさせた。本物そっくりの光を放つインド製の刀剣を別注し、ネットを介して売り始めたわけだ。
秋葉原に来た理由。
『待ってました!』
あきらめていたらリアルな刀が、日本でも買えるとあり、すぐに注文が殺到した。さらにミリタリー雑誌に広告を出すと、注文はさらに折り重なった。ただし、どうしても「モノが見てみたい」という声も少なくなかった。実店舗を出すならどこがいいか? できれば、都心で、人が集まる場で――。
「そうなると、秋葉原だったんですよね。秋葉原は商業地としては一等地。しかもミリタリー系のショップもいくつかあるし、親和性も高い。さらに……」
顧客リストをみるとゲームやアニメのファンが多いことに気づいたからだ。磯野さん同様の歴史、軍事史好き、もしくはリエナクトメントの愛好家よりむしろ、圧倒的な数があった。アニメ、ゲームなら、秋葉原は世界の聖地だ。
「そこで2004年、今の場所に『武器屋』を起ち上げたんです。先述通り、彼らもリアルを求めるわけですからね。たとえ空想の格好でも、むしろ空想の格好だからこそ、細部にリアルなものを配す必要がある。それは映画と全く同じ。だから、僕は同時に仕入れやモノづくりは妥協しないことが最も大事だなと感じた」
6年前、大学に戻って、院生としてあらためて政治史、軍事史を学んだのもそのためだ。独学のみならず、学術的なバックボーンを得て、さらに武器の知識を得たわけだ。
「単なる武器好きや、あるいはアヤしげな人間ではなく“学術的な研究者である”ということは担保にもなった。銀行に資金を借りる際の信用になりましたからね」
こうして古今東西の武器の知見と、古今東西の仕入れルートと、商品としての模造武器が揃う『武器屋』は、いつしか武器好きを古今東西から集めるようになったわけだ。
すごいのが、本当に『映画会社の小道具部屋』になったことだ。
山田洋次作品から自衛隊まで――。
武器あるところに、磯野さんあり。
『幕末の武器はどうなっていたか?』『進駐軍の制服は?』――。そんな悩みをもっていた映画の助監督やテレビのADが、『武器屋』にたどり着いた。
「すると、僕がいて、武器がありますからね。モノも答えも手に入る。おかげさまでご協力させていただくことになりはじめたんですよ」
例えばSMAPの中居正広氏主演の映画『私は貝になりたい』。衣装や小道具の提供、さらに軍事史的な時代考証の担当をしたのは、磯野さんだ。
「中居くんのブーツとか本当に帝国陸軍のデッドストックをみつけて提供しました。太平洋戦争の召集令状も、進駐軍のMPのヘルメットもすべて破綻がない」
山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』では、出演まで果たした。磯野さんは当時の銃の操作手順などの指導で撮影現場に入っていたが、あまりの指導の厳しさにエキストラの一人が脱走。助監督から「穴埋め、よろしくな」と頼まれたからだ。幸か不幸かは別として、得意の、“妥協しない仕事”の結果というわけだ。
「最近では橋田壽賀子さんが書いたTBSの開局60周年記念ドラマ『 99年の愛 ~JAPANESE AMERICANS~ジャパニーズ・アメリカン』も手伝いました。史実に近い当時の米国陸軍が日本のテレビで初めて登場したと思う。番組を観たアメリカ人から『442連隊をここまで忠実に再現するとは!』というコメントがテレビ局に届いたようです。うれしいですよね」
前半で「(リエナクトメントの市場が小さい)日本では映画の衣裳も小道具も間違いだらけ“だった”」と過去形で書いたのは、このためだ。実は、『武器屋』の、磯野さんの登場によって、ぐぐっと歴史もの、軍事ものの小道具の質が高まった。細部に神が宿るのならば、磯野さんはいろんな作品に、神を宿させているというわけだ。
「そこは自信があります。少なくとも、進駐軍が自衛隊の迷彩ヘルメットや服を着用する事はありません(笑)」
「コスプレしたい」「武器が好き」からはじまって、今は日本映画、日本文化を密かに牽引する役割を担っている。大げさに書いたわけじゃなく、実際、年内『武器屋』はパリにも出店する。
「日本文化を海外に紹介するジャパンエキスポに参加するようになって、そこから得た人脈で『出店してほしい!』という声があったので、はじめるんです。もっとも、パリでは武器だけじゃなくて、日本茶なども多く売る予定(笑)。というのは、同じなんですよ。いま、海外で日本料理がブームといわれているけど、ほとんどは中国人や韓国人が作っている。実はフランスには本物のお茶がほとんど無い、『本物を売ってくれ!』って」
本物を欲す人に、本物を届ける――。
あれ、考えてみればふつうのことだ。
訂正します。
磯野さんも武器屋もふつうで、他がおかしいのかもしれない。
『武器屋』
有限会社ヴァイスブラウレジデンツ 取締役
磯野圭作さん
■あなたにとって「秋葉原」とは?
高校生時代からの遊び場。駅が改装される前に飾っていた広告の場所は皮肉にも学生時代のバイト先の看板があったとこ
■秋葉原でよく使うランチの店は?
ラーメン屋の『萬楽』。江戸っ子な娘さんが元気をくれます
■今の仕事をしていて良かったなと思う瞬間は?
お客様が嬉しそうな顔して帰る時。
あと、自律神経失調症で立てなかった子が武器屋に行きたいという一心で4階まで上がってきたとき
【働いている場所】
千代田区外神田1-5-7宝ビル402
「武器屋」
http://www.wbr.co.jp/bukiya.htm
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