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takeuchi について

東京生まれ。西武百貨店勤務を経て株式会社カデナクリエイト設立。雑誌、社内報、単行本、webなど媒体問わず執筆。興味の中心は人事制度や社内教育だったが、最近は、インターンシップ、塾、学校など『教育』全般に広がっている。苦手は整理整頓。

編集に携わった新刊『社長、「給与体系」で儲かる会社を作りなさい!』完成しました!


昨年10月頃から編集をお手伝いしていた『社長、「給与体系」で儲かる会社を作りなさい!』(著者/渡井康裕・販売元/幻冬社・1200円)が、ようやく完成!

本日、オフィスに届きました。

給与体系の構築は、企業が抱える様々な問題を解決していくための強力な呼び水になることを説いた一冊。

給与体系の構築によって、意識改革、組織改革など多様な改革に成功した神奈川でナンバーワンの医療関連会社のソルブが、その時学んだ様々なノウハウを惜しみなく披露してくれました。

給与制度、評価制度、各種手当、組織体系…。人は、どんなことでモチベーションが上がったり下がったりするのか。働き方を考える上でも参考になる一冊です。


ライバルの製品名言っちゃいました!

インタビューでは、気持ちよく相手に話してもらう雰囲気づくりが大切ですが、時には、そんな雰囲気を台無しにするミスを犯してしまうことがあります。典型は取材相手の名前や社名や製品名を間違えたりした時。また、ライバル社のサービスや製品と混同したり、製造していると知らずにライバル社を誉めてしまうという恐ろしいミスもあります。
今、考えても青ざめるのは、さかのぼること数十年前。某家電メーカーの消費研究所の所長さんに、ライフスタイルと家電のデザインや色の変化についてお話を伺った時のことです。所長さんは、論客としても有名な方だったので、あらかじめ論文やインタビュー記事などを念入りに読み、準備万端(のつもり!)で臨みました。
私:「お話をテープにとっていいですか?」
当時はICレコーダーはまだありません。
私は、テープレコーダーを前に置きました。
所長:「それは、何ですか?」
私:「は? ウォークマンですよ!!」
当時はウォークマンの全盛時代でしたが、所長さんは、かなりの年輩。恐らく、録音機能つきのウォークマンを知らないのでしょう。
「このマイクを使えばステレオで録音できるんですよ。カセットテープのケースにマイクをはさんで固定させてるのは、けっこういいアイデアでしょ?」
私は、自慢の真っ赤なウォークマンを見せながら、一生懸命説明してあげました。
所長:「……」。
そのまま滞りなく取材は終わったのですが…。
後日、テープ起こしをしている時に、ふと気づきました。
よく考えれば、家電メーカーの研究所の所長がウォークマンを知らないはずはありません。
「それは、何ですか?」=「ほほう。それはソニーさんの製品ですな…」という意味に違いありません。本来なら、「いつもは御社の製品を使っているのですが、今日は、たまたま調子が悪くてソニーさんのを使ってるんですよ(笑)」などと応えるべきだったのに、ウォークマンの説明をトクトクとしてしまいました。
う~~~~。恥ずかしい! 研究所ということばにひっぱられて、メーカーだということをすっかり忘れていました。
このようなミスを防ぐためには、下調べをしっかりするしかありません。取材とは直接関係がなくても、関連会社、広告、業績、ヒット商品などをきっちり調べることで、新情報はもちろん、忘れていた情報を思い出すこともあります。思いこみも訂正できるはずです。当然、今では、ライバル社を誉めるような大失態はなくなりましたが……。
ミスタードーナッツとダンキンドーナッツの言い間違え、小諸そばのメニューと富士そばのメニューの混同といった思いこみと勘違いは、なかなか無くなりません。まだまだ下調べが足りないようです。決して、年のせいではありません。
■今回の失格言
『気をつけよう思いこみと勘違い』


第7回 積み散らかしたキャリアと経験が、いつかひとつにつながる プランナー&エディター 高橋 健さん(3)

(竹内三保子/ニューワークタイムズ編集長・カデナクリエイト代表)

ブラック、パワハラ、詐欺まがい…。経歴にどんどん傷が付く

独立の失敗、フリーの限界…。半年後に、再び、就職活動を始めた高橋さんは、新聞広告で見つけた中堅の出版社に何とか入社した。
高橋:洒落た男性誌で有名な会社だったのですが、実際に入ってみると、どうも経営がおかしい。雑誌の知名度を利用して、読者に怪しい投資話をもちかけているみたいなんですよね。もちろん、社員には隠していましたが、何となく雰囲気で分かるし、ネットに悪口も書かれてました。雑誌をつくること自体が犯罪の片棒をかつぐような気がしたので、1年もたたずに辞めました。結局、数年後には、その会社は大きな負債を抱えて倒産しました。
――苦難が続きますね。それで、次はどうしたんですか?
高橋:そのあとはいわゆるスピリチュアル系の出版社に入りました。まあインドに長いこといたくらいなので、自身にもそういう素養があったわけですが、ここも残念ながら問題がある会社で、やはり長いこと在籍せずに退社。次は興味もそこそこにあった医療・介護系の出版社に入りましたが、今度は社長のパワハラで社員が半年で半分入れ替わるような劣悪な会社…。もっとも、出してる本や雑誌はすごくよかったし、医者や介護士の方たちに話を聞くのは勉強になって、地域医療、病院、地方の高齢化問題など、これまで見えなかったものがはっきり見え、社会に対する見方が大きく変わり、人間的に成長できたと思いました。仕事には未練たっぷりでしたが、思い切ってやめました。すでに7社目。経歴はもうボロボロです(笑)。

全てのキャリアが結びつく時

もっとも、高橋さんの経歴は本人が言うほど悪くはなかった。会社が変わる度に、新しいノウハウや知識を身につけていたからだ。編集、写真、印刷…。そこに医療、介護の知識が加わっていた。人材紹介会社に依頼すると、すぐにナナ・コーポレート・コミュニケーションズを紹介された。
――実際に面接を受けてどうでしたか?
高橋:まず、きちんとした会社だと当たり前のことに感動しました(笑)。そして、ここなら、自分のキャリアを活かせると思いました。社内報の制作は、クライアント企業さんごとにやり方が違うし、担当者は異動などによって定期的に変わります。ですから、どんなやり方のクライアント企業さんとも、新しい担当者とも、あたかも数年来チームを組んできたようにスムーズに仕事を進められる能力が問われますが、それに関しては、海外放浪と会社遍歴で十分に養われた(笑)。引け目に感じてた経歴が、プラスに感じられるようになりました。もちろん、会社遍歴をする中で、編集だけではなく、写真撮影、原稿執筆も自分でできるようになっていました。しかも、仕事の目的は、クライアント企業の組織を良くすること。実体験から、組織のあり方、企業の社会的責任、社内のモラルなど「組織」に対してじっくり勉強してみたいと思っていたところでした。どこから切り取っても、まさに、自分のためにあるような仕事だと思いました。
――実際に仕事を始めるといかがでしたか?
高橋:何よりも気持ちがよかったのは、仕事でお会いする方が、みな、本気で自分の会社を少しでもよくしようという熱意に溢れていたことですね。たとえば合併を体験した会社では「社内に一体感をもたせるためには、どうすればよいのか」、技術系の会社なら、「新技術をどんどん発明するような環境をつくるためにはどうすればよいのか」といったことを真剣に考えている。だから、僕も、少しでも、この人たちのために役立ちたいと一生懸命になる。読者もはっきりしてますから、反応もダイレクトに伝わってきます。
――社内報と一般誌のやりがいの違いはどこですか?
高橋:クライアント企業のために役立てたという実感をはっきりと得られることですね。「社内のコミュニケーションがよくなった」「理念が社内に浸透した」「制度の利用者が増えた」といった声をきくと、本当に社内報制作にかかわってよかったと思います。それは、雑誌や書籍を発行して、何万部売れたからいくら儲かったというのとは全く違う喜びです。この会社に来て、まだ2年ですが、やっと自分の居場所がみつかったという感じですね。
――ありがとうございました。業界に旋風を巻き起こすような社内報が誕生することを期待しています。

編集者になりたい人へ

■高橋健さんからワンポイントアドバイス
オーソドックスなやり方は、いうまでもなく出版社に入ることですが、出版社は狭き門にもほどがありますよね。でも、紙媒体にこだわらなければ、実は、webでも、広告でも、営業でも編集的な仕事って、世の中には沢山あります。重要なのは、編集の本質を理解すること。それが分かって自分を磨けば、紙媒体の編集もできるんですよね。とくに広報誌の担当者を見ているとそれを確信できます。編集の経験など全くなくても、他部門で一流の仕事をしてきた方は、ちょっと編集の勉強をしただけで、プロの編集者顔負けの編集能力を発揮しますからね。
■高橋さんにとって仕事とは?
「自分にとってのミッション。あるがままに生きていれば、自分という個性にあった仕事が自然に表れると考えています。ですから、目の前の仕事を一生懸命になる。そうするうちに、また、次のミッションが現れてくる。そんな風にやってるうちに、現在の仕事にたどりついた。仕事を面白くするコツは、面白いと思うこと(笑)。たとえば、ミャンマーの小さな村が面白いから、是非、行ってみろと言われた時に、「それは面白そうだ」と思えたら、その瞬間に勝ったも同然。行かねばならぬと義務的に考えれば、つまらなくなります。でも、北極で毛布一枚で一晩過ごせというような絶対的に辛いことは、無理しないで逃げていいと思います」
(おわり)

今日のヒラリー
引き続きパキスタン問題に取り組んでいます。午後はパキスタンのクレーシー外相とミーティングをし、夕方は国連で演説。すでに拠出を決めた70億円に加えて、さらに50億円の追加融資を表明しました。う~~ん。スゴイ!ちなみに、日本は12億円の支援…。そして、次なるビッグな仕事は、イスラエルとパレスチナの直接交渉再開の発表!どんな感動的な表現で発表するのか楽しみですね。

第6回 積み散らかしたキャリアと経験が、いつかひとつにつながる プランナー&エディター 高橋 健さん(2)

(竹内三保子/ニューワークタイムズ編集長・カデナクリエイト代表)

海外放浪でコミュニケーションと情報収集能力を磨く

1997年10月。会社を退職した高橋さんが向かった先はバックパッカーの拠点、タイのバンコクだった。そこから3年間の世界放浪が始まった。
――どうしてバンコクが拠点なんですか?
高橋:物価が安いし、航空会社も豊富で、どこに行くのも便利なんですよ。バンコクからインドネシア、ニューギニア、ブルネイ、マレーシアなどを回ったら、いったんバンコクに戻る。今度は、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムを回って再びバンコクに戻るといった具合に、常にバンコクに戻るわけです。今はちょっと違うみたいですけど、当時はバックパッカーだらけでした。
――旅行によって、どんな点が変わりましたか?
高橋:コミュニケーションの基本姿勢が変わりました。ベタな表現ですけど人間の幅が広がったような気がしますね。
――具体的には?
高橋:たとえば、日本…に限らずどこでもそうなんですが、会社とか学校とか、エリアの限られた人たちとのコミュニケーションが、まあ中心ですよね。また、日本は治安がいいし、病院も沢山あるし、価格だって店によって極端に違うなんてことはない。その上、それぞれの人には家族がいるわけですから、僕が、友人知人の安全や健康の心配をする必要はない。極端に言えば、自分のことだけを考えていればいいわけですよ。ところが、海外放浪となれば、そうはいきません。ものすごいぼったくりの店もあるし、危険地帯も沢山あります。病気になっても家族はいないし、近代的な病院だって少ない。みんな一人ぼっち。そうなると、バックパッカー同士で助け合うしかないわけですよ。
――なるほど。
高橋:ですから、出会った人とは積極的にコミュニケーションを図って最新情報を伝え合ったり、お互いに相手の安全まで気遣うようになりますね。日本から離れれば離れるほどにね。毎日毎日、初対面との人との新しいコミュニケーション。最初はしんどい面もありましたが、慣れてくると、それぞれの人が持っている情報が違うし、考え方も多様で面白い。気が付くと、どんどん積極的にコミュニケーションを図るようになったし、英語もできるようになったので、他国のパッカーともいつの間にか普通に交流してました。アンテナが変わったせいか、人に対する気遣いの形も変わりました。
――途中、一度だけ、日本に戻ったそうですが…。
高橋:「よく考えてみれば、オレたち日本を知らないよね」って、現地で知り合った仲間3人と日本に戻りました。あらかじめネパールやタイで銀などのアクセサリーを大量に仕入れ、8万円で軽自動車を買って、2ヶ月間かけて東京から鹿児島までアクセサリーを売り歩きながら旅をしました。大もうけはできませんでしたが、旅行代は何とか捻出できましたね。終わったら再び旅を続けました。アジア、中近東、オセアニアを回って、最終的にはアフリカの途中で中断。ヨーロッパ、アメリカ、南米には渡らず、世界半周で旅行をやめました。
――それは、どうしてですか?
高橋:エジプトに入った頃に、だんだん旅行のモチベーションが下がっていったんです。この先も楽しいことはあるだろうけど、どのくらい楽しいかがだいたい予想できるようになってしまった。それで、トルコからメキシコに行く予定を180度変えて、というかUターンしてチベットに向かいました。本当に最高で、そこで満足しちゃいました。「お腹いっぱい」の感覚っていうんでしょうか。その後はタイの島やネパールでちょっとのんびりして、99年のクリスマス前後に日本に帰りました。

海外ボケとキャリアの再構築

帰国した時は、すでに28歳になっていた。日本はあいかわらずの不景気のまっただ中。高橋さんは、どのように編集の世界に戻ってきたのだろうか。
――帰国後の就職活動は、どのように?
高橋:まずハローワークに行きました。そこで、某メガネチェーン店の職にありついたんですが…。スーツを着て、定時出勤。3年も海外で好き勝手にやっている人間には、とても無理。結局、3日でやめちゃいました。やっぱり編集関係がいいと思いましたが、そう簡単には決まらない。結局1ヶ月くらいブラブラしてたのかな?
――それで?
高橋:何とか編集プロダクションにもぐりこむことができました。そこは、販促物や単行本をつくっている会社で、実際に企画やページ構成を考えたり、ライターさんやデザイナーさんに細かく指示したり…。以前いた出版社は編集プロダクションに丸投げだったので、実作業はまるで経験がありませんでした。「なるほど。編集ってこういう仕事なんだ!」って、ここに来てはじめて分かりました。
――なるほど。高橋さんの編集ノウハウは。その会社で学んだわけですね。
高橋:そうですね。そういう意味で、この会社に入ったのは、本当によかったと思います。ところが、まもなく給料は遅配。8ヶ月後には潰れてしまいました。
――次は、どうされたんですか?
高橋:熱帯魚やペットなど趣味的な雑誌を出版している会社に入りました。
――そこでは、何を学びましたか?
高橋:意外なことに写真です。入社すると、熱帯魚の雑誌の担当になったんですが、こういう雑誌って、文章よりも何よりも写真が大事なんですね。通常は、カメラマンさんにお願いするはずなのですが…。なぜか僕がすごいカメラを渡された。「お前、撮れ」と。それまでカメラなんて、まともに触ったこともなかったから、さっぱり分からない。毎日、カメラを構えて水槽の前に座りっぱなしですよ(笑)。露出とか、ストロボの使い方とか、結果として、写真についてみっちり勉強することができました。だんだん写真が上手になって面白かったのですが…。ここも結局、不渡りを出して8ヶ月で潰れました。僕みたいな中途半端な人間を採用するところだから、仕方ないですよね。分かってますが、もう、どこでもいいやと半ばやけっぱちの気分になっていました。
――確かに、2社連続はへこみますね。
高橋:ですから、次は、たまたまで募集記事を見つけた漫画の出版社に入りました。嫁舅問題などが中心のレディースコミックをつくっている会社でした。漫画の世界って、99%は漫画家さんがつくりますから、編集者の出る幕はあまりない。漫画の方向性や多少のストーリーは考えますが、メインの仕事は誤字脱字のチェック…。多分、編集者として学べるものはほとんどないだろうなと思っていました。
――実際には?
高橋:印刷について学べました。すでに世の中はパソコンを使ったDTP印刷に変わっていましたが、DTPって、ある意味ブラックボックス。いくら眺めていても、印刷のことはよく分からない。でも、漫画に限っていえば昔ながらの版下、写植の世界なので、実に分かりやすい。漫画にかかわったおかげで知りたかった印刷の基礎がよく分かりました。でも、一番よかったのは、社員の人たちがいい人ばかりだったことかな。今でも、この時の仲間とは花見などで定期的に集まってますよ。
――そんなに楽しそうな会社だったのに、どうして退職したんですか?
高橋:実は、最初に就職した編プロ時代の仲間と、田舎に特化したフリーペーパーを発行して独立しようと考えたからです。広告代理店もついて、みんなで事務所まで借りました。ところが、いよいよスタートという時に広告代理店が倒産してしまいました。
独立の夢は、見事うち砕かれ、行き場を失った高橋さんは、フリーカメラマン&フリーライターとして再出発した。海外で磨いたコミュニケーション力で、食いっぱぐれることはなかったが、収入は月5万円~50万円と非常に不安定。再び、就職活動を始めた。(つづく)

今日のヒラリー
洪水被害に見舞われているパキスタン。すでに米国はヘリコプターでの救助など他国に先駆けて活動していますが、それに加えてヒラリーは14日の夜にパキスタンのザルダリ大統領に電話。最大限の協力を約束したそうです。国連・潘基文事務総長の視察の前日というのが、しぶいタイミングだなぁ。

中古車販売会社社長のモツ鍋は月に1万セットの大ヒット!

福岡で食べたもつ鍋のおいしさに、自分独自のこだわりを加えたモツ鍋をつくりたい。名古屋の中古車ディーラー・ディ・エフ・エス社長の山中誠さんは、20年前に、こんな風に思ったそうです。
ここまでは、よくある話ですが、大きく違ったのは執念。山中さんのこだわりのひとつは甘みでした。博多では砂糖によって甘味を出しますが、山中さんは素材によって甘味を出そうとしたそうです。そのために、あらゆるダシを試し、最終的にたどりついたのが北海のホタテ。理想の味が出るまでに、なんと15年もかかったそうです。それまでに、一体、何回、モツ鍋を作ったのでしょうか?
ここまでこだわったのですから、当然、味は上々。友人の薦めでネットで販売すると、たちまち月に100~200セットも売れる大ヒット商品に!昨年の冬は月に1万セットも売れたそうです。すでにFC展開の準備もすすんでいます。
ところで、鍋料理のひとつの開発に15年も費やすことなど、プロの料理人には許されないことです。趣味だから、採算度外視で何年でも費やせるわけです。こうしたことは料理に限ったことではありません。この記事を読んで、改めて、趣味人の「強さ」が分かりました。
[中日新聞]趣味のもつ鍋、人気“沸騰” 名古屋の中古車ディーラー「ディ・エフ・エス」 http://www.chunichi.co.jp/article/economics/vseed/CK2010072102000141.html