月別アーカイブ: 2010年1月

第2回「なぞり千本!?」グラフィックデザイナー・井上祥邦さん(1)

(竹内三保子/ニューワークタイムズ編集長・カデナクリエイト代表)
「なぞり千本!?」グラフィックデザイナー・井上祥邦さん(1)
「なぞり千本!?」グラフィックデザイナー・井上祥邦さん(2)
「なぞり千本!?」グラフィックデザイナー・井上祥邦さん(3)

グラフィックデザイナーって?

人がつなげるシゴト図鑑「ヒラリーに会いたい」、記念すべき第一歩として登場して頂くのは井上祥邦さん。一昨年に独立を果たしたグラフィックデザイナーだ。弊社とは3年くらいのつきあいで、昨年は『R35の給与格差白書』(笠倉出版社)という本を一緒につくった。
グラフィックデザイナーの仕事は、本や雑誌やポスターなどの誌面デザインをすること。デザイナーの腕次第で、写真が活き活きしたり、文章が読みやすくなったり、面白そうに感じたりする。ある意味、内容以上に影響を与える。
恥ずかしながら、分かっているのは、ここまでだ。
「このくらいの文章量で、図や写真は2点くらいにしたいなぁ~♪」
こんな風にお願いして、紙に簡単なイメージ図(ラフ)を書いて、原稿や図や写真などの素材を渡せば、自動的(に見える)に、ページの見本(レイアウト)がFAXやPDFで送られてくる。
基本的にメールとFAXのやりとりで仕事は進んでいくので、この間のデザイナーの仕事は、自分にとってはブラックボックス。もちろん、途中で何度か打ち合わせもするが、実作業を見ていないし、また、見たとしてもよく分からないだろうから、直接、井上さんに、どんな作業やどんな苦労があるのかを尋ねることにしたわけだ。

デザイナーへの第一歩は?

いきなり専門的な話を聞いても、アート系知識ゼロの自分には、きっとチンプンカンプン。まずは、デザイナーになったきっかけから伺おう。

井上祥邦(いのうえ よしくに)
グラフィックデザイナー。1976年生まれ。大学卒業後、印刷会社、DTP制作会社、編集企画会社、出版社などを経て2009年にyock designを設立。http://yockdesign.com

私:「やっぱり、デザイン系の学校を出られたんですよね?」
井:「実は、千葉の大学の情報学科出身なんですよ。SEになろうかなぁなんて思ってました。アハハ」
え~!? SEを目指していた人が、どうやってデザイナーになれたんだろう?
井:「一つのきっかけは、学生時代に印刷会社でアルバイトしたことです。そこで、DTPの仕事をやって欲しいと言われました」。
DTPとは、Desktop prepressの略で、ウィキペディアによれば「版下、製版フィルム、プレートなど印刷工程上の出力、もしくは印刷物を直接出力できる形にまですること」。要は、バラバラにあがってくる原稿や写真やイラストなどを、ポスターや雑誌などとして印刷できる状態にまですることだ。10数年前までは、大半のデザイナーは手書きでデザインしていたので、デザイナーとDTPオペレーターの役割は、かなりはっきりと分かれていたが、現在では、ほとんどのデザイナーがパソコンでデザインするようになり、DTPの作業までこなす人も増えてきた。
井:「macで作業をするのですが、当時はWindowsしか触ったことがなかった。できないことが悔しくて1から勉強をして、なんとか学校の卒業アルバムや文集などを作れるようになりました。完成した時の達成感は何ともいえず、こんな仕事で生きていきたいと考えるようになったわけです」
私:「なるほど! それで、デザイナーへと興味が広がっていったわけですね。まずは、印刷会社にきちんと就職して本格的にDTPの技術を?」
井:「そのつもりでしたが、営業に配属されてしまいました」
私:「営業ですか?」
井:「独立した今は、営業の大切さがよく分かるのですが、その時は、いやでいやでたまらず1年で辞めてしまいました」
当時はバブル崩壊直後の大不況下だ。そんな時に、正社員の立場を放棄?
私:「それでどうしたんですか?」
井:「でも、なんとかDTP専門の制作会社に潜り込めました。そこは、労働環境が劣悪なブラック会社。みんな、すぐに辞めるから、いつも人材募集してたんです」
私:「なるほど! ブラック会社も使いようですね。そこでみっちりと?」
井:「はい。ビシビシ教えてくれるいい先輩がたくさんいたんですが、環境が劣悪だから、みんな辞めちゃう。すっかり上の人がいなくなっちゃってなんかやばいなぁと…」
私:「どのくらいいたんですか?」
井:「9ヶ月…。当時の自分は、長続きしなくて本当にだめでした」
この状態から、どうやってデザイナーに?  <つづく>
「なぞり千本!?」グラフィックデザイナー・井上祥邦さん(2)
「なぞり千本!?」グラフィックデザイナー・井上祥邦さん(3)

今日のヒラリー
昨日、ハワイで岡田外相との会談を終え、本日は気候変動や経済開発の話をするためにパプアニューギニアに旅立つはずだったが、ハイチの地震に対応するために、急遽予定は変更。ワシントンに戻ることになった。

起業ネタはジョギングで見つかる?

健康のために、仕事の合間にジョギングをしたり、会社に自転車通勤したりする人が増えているようですが、「どこで着替えて、シャワーを浴びるか」で困っている人は少なくないようです。
そんな悩みに着目し、横浜市の中心部にオープンしたのが、「THE SPACE」。ジョギング利用者や自転車通勤者向けの着替え室&シャワー室です。
実は、この施設を開業させたのは、近くの建設会社に勤めていた佐々木均さん(41歳)。佐々木さん自身がジョガーであったことから、そのビジネスチャンスに気づけたようで、「自分の店が持てる最後のチャンス」と昨年11月末に会社を辞め、この施設を開業したそうです。
読者の皆さんの趣味にも、起業のネタは隠れているかもしれません。
[朝日新聞]都会のエコ通勤 脱サラし商機に
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000001001130005


しかりたいけど、しかれない

社員研修を手がける(株)ミュゼは、『職場内コミュニケーション実態調査アンケート2009』を発表しました。コミュニケーションを誉める、叱る、モチベーションなど様々な観点から分析しています。
「しかる」ことに関連した項目では、上司の8割以上が、部下の育成にしかる教育を必要と感じていると答えていました。ところが、その中の7割以上が、しかり方に自信がないと答えたそうです。
部下や後輩などの指導対象者がいる人の7割弱が、部下をうまくしかれなかった経験を持つと答えています。その理由は、「ためらいや遠慮」「感情的な伝え方になってしまった」など。
また、「しかる」教育を「必要」だと思いながらも、実際に「しかっている」と答えた人は5割強。
だからといって、自信がないまま無理にしかってもいいと言うわけではありません。そもそも部下の6割以上がしかれることに抵抗感をもっているし、7割以上の人がしかられてやる気がなくなったり、嫌な思いをしたりした経験があると答えています。
「しかる」ことは、もっとも難しいコミュニケーションだといえそうです。
[中日新聞 Opi・rina]部下の指導に悩む上司の姿・・・人材研修会社調査
http://opi-rina.chunichi.co.jp/topics/20100113-2.html
職場内コミュニケーション実態調査アンケート2009
http://www.musee-inc.com/pdf/communication2009.pdf


仕事にはミルクティーよりウーロン茶?

仕事にストレスはつきものです。「仕事のストレスを解消する5つの方法」(元記事はJayWhite氏の運営する「Dumb Little Man」というアメリカのライフハック系のサイト)によれば、「瞑想する」「日光を浴び、広くて開放的な空間に出る」「お茶を飲む」「クラシック音楽を聴く」「とにかくリラックスを心がける」という5つの方法がストレスに良いと紹介されています。「科学的に検証したの?」という疑問も残りますが、どもれ確かにストレス解消には良さそうです。
中でも気になったのはお茶の話。「有効成分を破壊してしまう可能性があるので、紅茶にはミルクを加えないほうがよい」そうです。そのまま飲むと胃への刺激が強いので、ミルクを入れた方が良いと思っていただけにちょっと意外でした。元となった英語の記事を参照したところ「牛乳に含まれるタンパク質がお茶の有効成分を壊す可能性がある」とのこと。ミルクありとなしでどれほどの違いが出るのか、試してみてはいかがでしょうか。
[マイコミジャーナル]ミルクティーよりウーロン茶! 仕事中のストレスを解消する5つの方法
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/01/13/009/


世界に広がるカネコさん方式

消費者と農家が直接契約をして前払いで農産物を買い取る。豊作の時には大量の野菜が届き、もし不作で収穫量が0の時には野菜は届かないし、代金の払い戻しはない。消費者と農家がリスクを分け合うことで小規模農家を守り、また安全な野菜を確保する。
現在、こんな小規模農家と消費者の「テイケイ」が約30カ国に広がっているそうです。アメリカでは、「CSA(コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー=地域と支え合う農業)」と呼ばれ、07年には1万2549農場が参加していました。
別名はカネコさん方式。というのは、そのルーツが日本にあったからです。それは1971年に設立された「有機農業研究会」(現・NPO法人「日本有機農業研究会」)。同県休会の契約農家の一人の金子美登さんは、1975年から国内外の研修生を約100人受け入れるようになりました。その中の一人のアメリカ人が、帰国後、このシステムを本国に広め、それが世界中に広がったというわけです。
当時のメンバーは高齢になり、運動は伸び悩んでいます。現在は、CSAが農業再生の切り札として逆輸入されているそうです。
[MSN産経ニュース]テイケイ農業、世界で育つ 地域と支え合う「CSA」日本に逆輸入
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100111/biz1001112039008-n1.htm