第5回 積み散らかしたキャリアと経験が、いつかひとつにつながる プランナー&エディター 高橋 健さん(1) 

(竹内三保子/ニューワークタイムズ編集長・カデナクリエイト代表)

井上さんとの出会いと社内報制作の仕事

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高橋 健(たかはし けん)
1972年埼玉県生まれ。1995年成城学園大学文芸部芸術学科卒業。同年、中堅出版社に入社し、1997年に世界半周旅行に旅立ち約40カ国放浪。 2000年に帰国し、その後、ペット、漫画、ビジネス、医療など様々な専門出版社を経て2008年ナナ・コーポレートコミュニケーションに入社。

人がつなげるシゴト図鑑「ヒラリーに会いたい」。前回登場したグラフィックデザイナー・井上祥邦さんが紹介して下さったのは、株式会社ナナ・コーポレート・コミュニケーション 社内報事業部 プランナー&エディターの高橋 健さんだ。
――井上さんとの繋がりを伺う前に、まず高橋さんのお仕事からお伺いしたいと思います。そもそも社内報の特徴は、どんなところにあるんですか?
高橋:一般誌との一番の違いは、読者は「社員」と限定されていることですね。だからメッセージの目標が非常にはっきりしている。制作について言えば、編集方針を決めるのはクライアント企業の広報や総務の方で、編集の専門家ではないということです。時には媒体の制作にかかわるのは初めてという方もいらっしゃいます。
――そうなると仕事の進め方も一般誌とは違ってくるわけですね。
高橋:そうですね。社内報を制作する場合は、「社内のコミュニケーションを活発化したい」「こんな時期だからトップダウンで社員を引き締めるメッセージを伝えたい」「新しいCIを浸透させたい」といった具体的な目標を伺い、そのためにはどんなテーマで特集を組めばいいのか、どういう記事をつくればいいのか、またカラーページはどう使えば効果的なのかといったことを提案したり、トータルにアドバイスをすることが大きな仕事になるわけです。あわせて、取材に同行したり、記事を作成したり、写真を撮ったりと実際の制作作業も行います。この点は一般紙と同じですね。
――井上さんとのつながりは?
高橋:きっかけは、これまでお願いしていたデザイナーさんが一巡して、デザインの傾向が少しマンネリ化していたことです。ちょっと雰囲気を変えるために新しいデザイナーさんを探していた時に、たまたま私と井上さんの共通の知人が紹介してくれました。
――新しいデザイナーさんに仕事を発注するかどうかのポイントはどんなところにあるんですか?
高橋:まずは作品を見せてもらって、自分が作ろうとしているものと雰囲気があっているかを見ます。あとは本人の柔軟性ですね。先ほど申したように、編集長は企業の広報や総務の方なので、時には、出版業界の「常識」とは違う要望が出てくることもあります。そうした時に、クライアントさんの気持ちや要望をくみ取り、ニーズにあったものをよりよいカタチで出してくれる柔軟性が非常に大切です。アーティスティックに自分のやりたいことを主張するデザイナーさんは難しい。また、クライアントさんは主として大企業なので、それなりのビジネスマナーも必要です。そうした点で、井上さんは、クライアントさんとコミュニケーションをきちんと図り、何がやりたいのか理解しようとしてくれるので、クライアントさんにも、社内でも評判は上々。以来、ずっとお願いしています。

マスコミ業界への第一歩と世界放浪

高橋さんが大学を卒業したのはバブル崩壊後の就職氷河期。激しい競争率をくぐりぬけ中堅出版社に入社したにもかかわらず、2年半で退社。その後27歳までの約3年間、放浪の旅に出て世界約40カ国を回った。
――学生時代から旅行に興味があったんですか?
高橋:大学時代は一ヶ月くらいの旅行に3回行きました。当時はバブル期だから日給1万円は当たり前。2万円くらいもらえることもあったので、旅行代はすぐに稼げました。で、海外旅行をしていると、いろんな人に出会うじゃないですか。世界一周したとかアジアでこんな体験したとか…。そういう話を聞くうちに、メラメラと対抗意識が芽生えた(笑)。「オレにまだ見ぬ世界があるのは許せない」ってね!
――それでは、最初から海外放浪は視野に入れて就職を?
高橋:そうですね。目標は二つありました。ひとつは旅行資金300万円を貯めること。もうひとつは仕事を覚えておくこと。就職経験がないと、さすがに日本に戻ってきた時に再就職は厳しいかなと。
――300万円って、どういう計算なんですか?
高橋:贅沢する時には贅沢する、という余裕の旅行がしたかったからです。もちろん、貧乏旅行にすれば150万円あれば可能ですが、物価が高い先進国に入った時にはあまり楽しくない。単に沢山の国を回るというスタンプコレクターみたいな旅行は、大学時代にさんざんやりましたから、今度は、お金を気にせずその国ならではの魅力はきちんと楽しむ有意義な旅行がしたいと思ってました。
――それで出版社に入ったと?
高橋:そうですね。昔から本を読むのは好きだったし、読書感想文で表彰されるようなタイプでした。学科も文芸学部芸術学科を選んだし、なんとなく文化的なことが好きだったんです。まあ、今、思えば出版社の仕事なんて何も分かっていませんでしたが(笑)。
――実際の仕事はいかがでしたか?
高橋:僕が入社したのはビジネス書から趣味の本まで総合的につくっている出版社でした。学生時代は編集者の仕事とライターの仕事との区別もよくついていませんでしたが、何となくバリバリ企画をたてたり、いろんな人と侃々諤々の議論をしたりするイメージはありました。ところが、実際にはそんな余裕はない。僕は単行本の編集を担当していたのですが、月に一人5冊つくるというノルマが課せられていました。そんなに沢山の本を一人で作れるわけはありませんよね。
――で、どうするんですか?
高橋:世の中には、雑誌や書籍の制作だけを専門に請け負う編集プロダクションが沢山あります。
――うちみたいな会社ですね(笑)。
高橋:そういうところに丸投げするわけです。企画についても新入社員が考える企画なんてほとんど通りませんから、先輩達が考えた企画を編集プロダクションに渡すだけ。僕の役割は、表紙のデザインについてデザイナーさんと打ち合わせることくらいです。ゲラ(校正用に刷った原稿)のチェックも編集プロダクションにお任せなんてこともありました。
――本当に丸投げなんですね!?
高橋:その代わりボーナスは新入社員でも100万円近くもらえましたが、だんだん、ここにいても仕事は覚えられないなと考えるようになってきました。それに2年半働いたら貯金が200万円ちょっと溜まったので、目標額には足りないけど、「行っちゃえ!」と会社を辞めてしまいました。
就職氷河期まっただ中で、高橋さんはキャリアも中途半端なまま会社を辞め、世界放浪へ。そこで何を学び、どうやって再び、編集の道に戻ってきたのだろうか。 (つづく)
株式会社ナナ・コーポレートコミュニケーション
1997年に設立された社内報専門会社のパイオニア的企業。同社が主催してい全国社内誌企画コンペティションへの入賞は、社内報担当者のひとつの目標。創業者は、オピニオン的社内報と高い評価を得ているリクルートの社内報『かもめ』を創刊し、23年間編集長を務めた福西七重氏。現在は、『月刊総務』、書籍の発行も手がけている。

今日のヒラリー
旧ソ連・東欧諸国の旅の途中。本日は、紛争が続いているアゼルバイジャンと隣国のアルメニアを訪れた。そこで、一言。「平和に対する最終的なステップは、しばしば、最も難しい。でも、私たちは平和は可能だと信じてます」…。信じてるっていう言い方が、何だかカッコイイ。

カテゴリー: ヒラリーに会いたい | 投稿日: | 投稿者:
takeuchi

takeuchi について

東京生まれ。西武百貨店勤務を経て株式会社カデナクリエイト設立。雑誌、社内報、単行本、webなど媒体問わず執筆。興味の中心は人事制度や社内教育だったが、最近は、インターンシップ、塾、学校など『教育』全般に広がっている。苦手は整理整頓。